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名古屋高等裁判所 昭和27年(ネ)169号 判決

控訴人(原告) 駒田藤八

被控訴人(被告) 三重県知事

主文

原判決を取消す。

被控訴人が昭和二十四年三月十四日付買収令書の交付によつてなした控訴人名義の別紙目録(一)記載の農地に対する買収処分を取消す。

訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において原判決書三枚目表十行目、五枚目裏四行目、同八行目中、七百七十四番の一とあるを各七百七十九番に、同四枚目表十二行目中六段三畝十七歩とあるを七反二十七歩に、同五枚目裏三、四行目中神戸村とある神辺村に、同六枚目裏五行目中二十一日とあるを一日に、同二十五枚目表十三行目中七二七番とあるを七三七番に、同裏十三行目中七反十七歩とあるを七反二十七歩に各訂正し、尚新に(一)、昭和十九年三月二十日頃控訴人方における訴外歳治、由一の両養子の媒酌人、親族等の会合において控訴人が両養子に夫れ夫れ田畑合計七反余を分与したとき控訴人はその本宅は養子歳治に贈与し、養子由一には近く右に匹敵する程度の分家住宅を新築して贈与する旨を約し、控訴人は右口約を実行するため昭和二十五年三月下旬右本宅の北方約半丁にある三重県鈴鹿郡神辺村大字小野七百二十三番地の控訴人の所有地に間口七間半、奥行五間の一、木造瓦葺平屋建本家一棟建坪三十七坪五合を新築してこれを右由一に贈与し、同人は爾来同家屋に妻子と共に生活し役牛一頭、山羊一頭、鶏数羽を飼育し、別紙目録(三)の田畑を自作し自営農家としての実を具備しており、このことは控訴人が右両養子に夫れ夫れ田畑七反余を分与したことの真実なるを物語るものと謂はなければならない。又本件農地買収手続について、(二)神辺村農業委員会(本件買収計画樹立当時は同村農地委員会)は本件農地買収計画に付自作農創設特別措置法第六条第五項による書類縦覧期間を昭和二十二年十一月一日から同月十日迄と定めただけで法定の十日の縦覧期間に一日不足し、(三)同農業委員会は同法第六条第五項に定めたる農地買収計画の公告を全然なすことなく、(四)右縦覧期間内に控訴人のなしたる本件農地買収計画に対する異議の申立に関し、同農業委員会は控訴人に対し、同法施行規則第四条第一項に定める異議の申立に対する決定書の謄本を送付していない。(よつて控訴人は訴願のしようがない。)等の瑕疵がある。と述べ、被控訴代理人において原判決書十一枚目表二行目中十月三十一日とあるを十月十日に訂正し、控訴人主張の農地の分与はその所有権の移転登記手続がなされていないので被控訴人に対抗することができない旨の抗弁を撤回し、控訴人がその主張のように養子由一に新築家屋を作つてやり同人が同家屋に居住して自作していても控訴人が昭和十九年三月二十日頃養子歳治、由一に夫れ夫れ田畑七反余を現実に分与した事実を肯定する資料とはなし難く、又三重県鈴鹿郡神辺村大字小野字桜口五九三番の一、二の各田、同大字字末広一〇二六番、一〇二四番の各畑についても買収計画のたてられたことは乙第八号証、甲第十号証によつて明らかであり、又控訴人の主張のように書類の縦覧期間の定められたことは甲第十一号証によつて認められるけれども、右書類は昭和二十二年十一月一日以前に作成せられ少くとも同年十月三十一日まで縦覧場所たる神辺村役場に備付、翌十一月一日午前零時より縦覧し得る状態におかれていたものであるから民法第百四十条但書により右の縦覧期間は法定日数に満たないことはなく、仮に一日の不足があるものとしてもこれは本件農地買収自体を無効ならしめるような重大な瑕疵ではなく、現に控訴人は右買収計画に対し右縦覧期間中に異議の申立をしたことを自認しておるのであるから本件農地買収は有効なものといわなければならない。(昭和二十六年(オ)第六六〇号同二十八年三月十二日最高裁判所第一小法廷判決参照)と述べた外原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。(証拠省略)

理由

まず本案前の抗弁について案ずるに

三重県農地委員会の控訴人所有にかかる別紙目録(一)記載の農地及び三重県鈴鹿郡神辺村大字小野字殿の内七七九番畑七畝九歩(原判決に同県同郡同村同大字七七四番の一とあるは誤記と認める。)に対する買収計画の承認に基き被控訴人が昭和二十三年八月十八日右各農地につき一括一通の買収令書を発行してその頃控訴人にこれを交付し、その後昭和二十四年三月十四日別紙目録(一)の農地のみにつき再度一括一通の買収令書を発行してその頃控訴人にこれを交付したことは当事者間に争がなく、成立に争のない乙第八号証原審における証人佐藤保(一、二回)同仲野常太郎の各証言を合せ考えると、三重県農地委員会が右昭和二十三年八月十八日の買収令書の発行交付後右殿の内七七九番畑七畝九歩に対する買収計画の承認を取消したので被控訴人は控訴人より右買収令書の返還を求めてその附録目録より右一筆の農地を削除してその買収処分を取消そうとしたけれども控訴人においてその返還に応じなかつたのでやむなく昭和二十四年三月十四日再度右一筆の農地以外の前記農地につき買収令書を発行して控訴人にこれを交付したことが認められ、右のように権限庁が買収計画の取消された右一筆の土地について買収処分の取消をなすに止めることなく、爾余の右各農地につき再度新たな買収令書を発行交付したような場合には初めの買収令書に基く買収処分を撤回し、後の買収令書により買収処分を実施したものと解するのが相当である。而して後の買収令書の控訴人に交付せられた日については被控訴人において明確なる主張をなさないのであるが訴状、原審答弁書、昭和二十四年九月七日午前十時の原審口頭弁論調書の各記載、被控訴人が控訴人の訴状における当該日の主張を明に争はない事実により、その日が昭和二十四年三月十八日であることを認めうべく、同日より一箇月の法定期間内であることが暦数上明らかなる昭和二十四年四月十六日に右買収処分の取消を求むる本訴の提起せられたことが記録上明に認められるので出訴期間を徒過せる旨の被控訴人の主張は理由がない。

又本訴が本件買収処分の前提をなす三重県鈴鹿郡神辺村農地委員会のなした農地買収計画につき同委員会に対する異議の申立又は同異議の申立に対する同委員会の決定につき三重県農地委員会に対する訴願の手続を経ることなくして行われたことは控訴人の争わないところであるけれども、農地の買収計画が異議の申立をしなかつたり、申立期間を徒過したためにこれを争い得なくなつたということは、もはや該買収計画自体としてはその取消を許さないという効果を生じたに止り、これによつて本来違法な農地買収計画が適法になるわけではない。抑々農地の買収は、買収計画の樹立、承認、買収令書の交付による買収の意思表示という一連の各独立せる連続的行為によつてなされる不可分の手続行為であつて、たとえ買収計画自体を争うことができなくなつてもその具有する実質的瑕疵は必然買収処分に受け継がるべく、右不服申立の途を失つた買収計画に基いてなされた都道府県知事の買収処分に対し買収計画の違法を理由として抗告訴訟を提起しうるものと解するのが相当であるのでこの点に関する被控訴人の主張も理由がない。

よつて本案前の抗弁はいづれもこれを採用しない。

次に本案について案ずるに

控訴人は訴外妻駒田好恵との間に子供がなかつたため昭和十四年訴外市川歳治を養子とし、その妻に訴外小林美枝を迎え昭和十九年三月二十二日右両名との養子縁組の届出をなし、更に昭和十八年三月頃訴外松岡由一及び訴外加藤敬子を同様養子として結婚せしめ、昭和十九年三月二十三日に右加藤敬子との養子縁組届を、同月二十四日に右松岡由一との婿養子縁組婚姻届をなしたことは当事者間に争いのないところである。而して成立に争いのない甲第八号証の一乃至十一、第九号証の一乃至十三、乙第五号証原審における証人市川義一、同松岡鹿二、同駒田由一、同小林三郎、同駒田歳治、同駒田敬子、同勝田宗次郎、当審における証人加藤登免の各証言、原審における控訴人本人訊問の結果によれば控訴人は夙に妹亡市川としゑの子である前記歳治を養子に貰つてあつたが歳治夫婦が徴用のため在宅せず控訴人自身も病弱のため農耕に従事することが困難な事情その他の都合により今一人の妹訴外加藤登免から事実上の養子に貰い受けてあつたその子前記敬子の婿養子として前記訴外由一を迎へ前記のように各養子縁組の届出をなすに当りかかる二組の養子縁組の届出のなされる特殊事情に鑑み特に右登免、由一側の身内の者等よりの要望により、その頃控訴人方で親族会議を開き右歳治の兄訴外市川義一、歳治の妻美枝の父訴外小林三郎、右由一の兄訴外松岡鹿二、右敬子の母訴外加藤登免、右各養子縁組の媒酌人訴外亡松岡栄作、控訴人等が協議の結果将来右二組の養子夫婦がお互に仲よく暮してゆくために控訴人はいづれ財産は平等に分配すべきも一先づその所有田畑の中別紙目録(二)記載のものを右歳治に、同(三)記載のものを右由一に各分与し、控訴人方住宅は歳治に与え、由一に対しては右本家と同程度の家屋を建ててやることにしてその他動産に至るまで双方甲乙のないように分与することに話が纒り、ここに右二組の養子縁組の屈出がなされ由一はその頃、歳治は徴用解除による帰宅後直接右各分与田畑の引渡を受けその耕作をなして来又その頃右各分与農地の所有権の移転登記につき当時居村役場の書記をしていた訴外勝田宗次郎に相談がかけられたけれども当時施行せられていた臨時農地等管理令(昭和十六年二月一日勅令第百十四号―昭和二十年十二月二十八日法律第六十四号附則第五条により廃止)等によりその所有権移転登記手続をなすことが困難であるとの話であつたためその運にいたらなかつた事実を認めることができる。(因に右農地分与当時には臨時農地等管理令第七条の二は未だ規定せられておらず右農地の分与は適法になされたものと認めることができる。)ところで右由一が昭和十九年七月十五日応召し、昭和二十一年十一月八日復員し、昭和二十二年一月二十日鈴鹿郡神辺村大字小野八百五十番地の二え分家したこと、現在歳治夫妻が控訴人方に同居し、由一夫妻がその頃控訴人方別棟に別居していたことは当事者間に争なく右各認定の事実及びその認定に供した前顕各証拠、成立に争のない甲第一、第三、第五証、第六号証の一、第七号証、原審における証人蔵城清一、原審並に当審における証人尾上三郎の各証言、原審における検証の結果を合せ考えると、右由一夫妻は前記のように控訴人の事実上の養子に貰われた当時由一が京都市電に勤務していた関係上京都市に、歳治夫妻は歳治の徴用せられていた関係上名古屋市に夫れ夫れ控訴人と別箇の世帯を持つていたところ、控訴人は農耕の手不足のため困却して昭和十八年十月頃由一夫妻を呼寄せたため同人等は京都市から控訴人方え引揚げていたが昭和十九年三月敬子の分娩が近づいたため前記のように二組の養子の入籍の問題が起きた際、財産分けの議が持上り農地の分与がなされ由一夫妻は直にその引渡を受けて農耕をなし、由一の応召より復員後約半年その健康の回復するまでは敬子が乳呑児を抱え同夫妻の親戚の援助朝鮮人の雇傭等により右農地を守り爾後は再び夫妻の力でその農耕をなし、他方歳治及び控訴人の農地は由一夫妻及び親戚の手伝い、朝鮮人の雇傭等により維持し、終戦、徴用解除による歳治夫妻の帰宅後は歳治に対する前記分与農地は同人に引渡され、ここに由一夫妻は控訴人及びその後を嗣ぐべき歳治夫妻とは漸次世帯を分つて独自の生計を持つに至り、控訴人より新築家屋の贈与を受くるまでの暫定措置として控訴人方別棟納屋の一半の使用貸与を受けてこれを住居に宛てて別居し炊事も控訴人等と別になし、昭和二十二年一月二十日前記のように分家の手続を了し、かねて京都より持帰りたる世帯道具を具え、控訴人より金員、動産等の分与をも受け、同年度よりは、直接税の納付も自己名義でなし、本件買収処分の基礎となれる農地買収計画の樹立のため、前記農地委員会の調査等に特に刺戟を受け右計画の樹立せられた昭和二十二年十月三十一日当時においては由一夫妻の世帯は既に一子静樹を儲け農地七反歩有余を保有する中農として独立の住居及び家計を有し控訴人の世帯より全く分離し、たゞ農繁期、製茶期等多忙のときは控訴人歳治等と農耕を援助し合つて共同炊事をなし、又由一夫妻が控訴人の農具、小屋等の一部を借用し新築家屋のできるまでの戦後の耐乏生活をしていた事実を認めることができる。尤も、原審における高楠守、同高楠正雄、同駒田金之亟、同高楠光大の各証言によれば、控訴人は種いものことで増産班と不和を醸しており供出は増産班と分離してほしい旨申出をなし昭和二十二年三月頃行われた供出割当の会合に出席しなかつたため由一個人の供出割当はなされず従来のまゝ(由一応召につきその依頼により由一分は便宜控訴人名義でなされていた。)控訴人一本の割当となり、肥料、報償物資の配給も増産班を通じ同様控訴人一本になされていたが(尤も前記控訴本人訊問の結果によれば控訴人及び由一の内部関係においてはいずれも各別に処理せられていたことが認められる。)昭和二十三年度の供出割当の頃から歳治等より由一の分を別途に取扱われたい旨の申出がなされ昭和二十四年度分より由一の供出、配給関係が漸く控訴人等より分離せられた事実及び村の出合、祭の寄附等も昭和二十二、三年頃までは控訴人一本であつた事実が認められるけれども右の事実は控訴人に多少横着な簾があつたとしても前段認定の事実に対比して未だ当時由一の生計が控訴人に依存していた事実を認定する資料となし難く、又原審における証人駒田重行の証言及び乙第一号証によれば昭和二十二年八月一日調査にかかる農業センサス票も歳治、由一等を含めて控訴人一本として屈出でられている事実が認められるのであるが右駒田証人の証言によれば右は右駒田重行が控訴人方を一世帯なりとする自己の考を前提として控訴人より種々聞き糺したことをその侭控訴人に代り一枚の農業センサス票に記入してこれを提出せしめたことが認められ、これに前記甲第三号証を参酌すれば右の事実も未だ遽に由一が控訴人より農地の分与を受くることなく控訴人と生計を同じくしていた事実を認定する資料とすることはできない。尚原審における証人高楠隆、同駒田金之亟、同蔵城武造、同仲野常太郎、同森口久三郎、同佐野茂一、同佐藤保(一、二回)、同高楠光大の各証言中由一が控訴人の同居の親族にあたる旨の各供述は前記各認定に供した各証拠に対比して輙く措信し難く、その他被控訴人の提出援用にかかる全証拠によるも右各認定を覆えすことはできない。

果して然らば右由一夫妻は前記農地買収計画の樹立せられた昭和二十二年十月三十一日当時は控訴人と住居及び生計を異にし自作農創設特別措置法第四条第一項にいう控訴人の「同居の親族」でなかつたことが明らかであり且前記認定の各事実、前顕証人駒田重行、尾上三郎の各証言、甲第九号証の一、二、乙第一号証によれば控訴人の所有農地は前記由一に分与した分を控除すれば右農地買収計画樹立当時歳治に分与した分を含めても二町一反一畝十四歩にして三重県において保有することを認められた二町二反の框内に止つていることが認められるところ、控訴人に対する右農地の買収計画が右由一を控訴人の同居の親族となし、これに分与せられたる前記農地をも含めて控訴人の所有農地が右所定保有面積を超過する二町八反一畝十八歩に及ぶものとして樹立せられたことは当事者間に争なく、該農地の買収計画の樹立に基き、被控訴人が昭和二十四年三月十四日買収令書の交付によつて控訴人所有の前記目録(1)記載の農地の買収処分をなしたことは前記認定の通りであつて、既に右農地買収計画の樹立が違法であり、従つて違法なる右農地の買収計画に基いて被控訴人のなした右農地の買収処分は爾余の争点について判断をなすまでもなく違法であることが明らかであるので当然取消を免れず、控訴人の本訴請求は正当なるをもつてこれを認容すべく、これと判断を異にして控訴人の本訴請求を棄却したる原判決は不当として取消し、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条によつて主文のように判決する。

(裁判官 北野孝一 伊藤淳吉 小沢三郎)

(目録省略)

原審判決の主文および事実

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が昭和二十四年三月十四日附の買収令書の交付によつてなした原告所有の別紙目録(一)記載の農地に対する買収処分はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めその請求の原因として被告は原告に対して昭和二十四年三月十四日附の買収令書を同月十八日交付して原告所有の別紙目録(一)記載の農地(以下本件農地と略称する)の買収処分をなした。しかしながら被告の右買収処分は次の如き理由によつて違法である。即ち

一、原告は訴外妻駒田好恵との間に子供がなかつたため昭和十四年訴外市川才治を養子とし右才治の妻に訴外小林美枝を迎え同十九年三月二十二日右両名との養子縁組の届出をなし、更に同十八年三月頃訴外松岡由一及び訴外加藤敬子を同様養子として結婚せしめ同十九年三月二十三日に右加藤敬子との養子縁組届を同年同月二十四日に右松岡由一との婿養子縁組婚姻届をなした。しかして原告は前叙の如く二組の養子夫婦を貰つたこととて原告の財産の分与をしておかなければならぬので養子縁組の届出をなすに当つて同十九年三月二十日頃原告方に養子縁組の媒酌人訴外松岡栄作、才治の兄訴外市川義一、美枝の父訴外小林三郎、由一の兄訴外松岡鹿二、敬子の母訴外加藤登免の五人を呼び寄せて協議の結果、いずれ財産は平等に分配すべきも一先ず才治、由一の両名に原告所有の農地中各約七反歩宛の農地を分与することとなり才治には別紙目録(二)記載の農地を由一には別紙目録(三)記載の農地をそれぞれ分与し残余の分は原告の持分としたのである。ただ当時臨時農地等管理令によつて前叙の分与農地の所有権移転登記はできなかつたが才治、由一の両夫婦はそれぞれその分与された農地を支配占有して耕作してきた。ところが由一は昭和十九年七月十五日に応召したため同人が分与された農地はその後妻敬子が原告及び才治の援助によつて耕作してきたが同二十一年十一月八日に由一が復員してきたので以後は同人夫婦が耕作し且つ同二十二年一月二十日には鈴鹿郡神辺村大字小野八百五十番地の二へ分家の手続を完了した。尚前叙才治夫婦は原告より農地を分与されて以来原告と同居しているが昭和二十年十月十日頃から原告とは世帯を別にしているのであつて農業調査、国勢調査等においても別世帯となつているのである。従つて訴外神辺村農業委員会(当時は同村農地委員会であつた。以下単に村農委と略称する)が原告所有農地について買収条件に該当するや否やを調査決定した昭和二十二年六月頃には才治、由一は前叙の如く原告の農地の分与を受けその所有者であること及び原告と才治夫婦、由一夫婦とは別世帯であることは周知の事実であつた。

然るに前叙村農委は前叙の事情を知悉しなから如何なる理由によるのか原告の総所有農地を二町八反一畝十八歩と算定し自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第三条第一項第三号による原告の保有し得る面積(二町二反)を超過する小作地として昭和二十二年十一月頃原告所有の本件農地及び鈴鹿郡神辺村大字殿の内七百七十四番の一畑七畝九歩に対する買収計画をたて被告(三重県知事)は右計画に基ずき同二十四年三月十四日附の本件農地に対する買収令書を同月十八日原告に交付して本件農地のみについて買収処分をしたのであるが前叙の如く原告は既に同十九年三月に別紙目録(二)及び(三)記載の農地を才治及び由一にそれぞれ分与し才治、由一夫婦は分与農地の引渡を受けて耕作し支配占有してきているのであり且つ由一夫婦はその頃より原告と別居し又才治夫婦は原告と同一家屋内に居住しているが原告とは世帯を別にしているのであるからたとい前叙分与農地が登記簿上原告の所有名義となつているとしてもこれを原告の所有と看做すことのできないことは農地調整法及び自創法の各規定によつて判然としている。然るとすれば自創法第三条第一項第三号の保有面積を計算するに当つては前叙の原告が才治及び由一に分与した別紙目録(二)及び(三)記載の農地は原告の所有農地面積から控除すべきであり、これを控除すれば原告の所有農地は二町二反以下となり自創法第三条第一項第三号によつては本件農地は買収し得ないのである。従つて同条項によつて被告が本件農地についてなした買収処分の違法であることは明らかである。

二、被告が本件農地に対してなした買収処分には前叙の如き違法があるのみならず該処分の前提たる村農委が本件農地について樹てた買収計画には次の如き違法がある即ち、

1 買収計画の樹立に当つては農地台帳を作成することになつており該台帳の作成は農地台帳等作成要項に示す如く申告主義をとるべきであり又農地調整法による許可を受けないで移転したため登記のできない農地についてもその実情をよく調査することになつているに拘らず村農委は此の方針を無視しており殊に前叙要項に記載されている世帯票の作成に当つては駒田才治は原告と別世帯として作成され才治は昭和二十年十一月二十三日以来六反三畝十七歩の農地を自作していることになつており又昭和二十二年十月一日現在の臨時国勢調査に当つては原告、才治、由一は別世帯として調査されているのである。特に国勢調査は農地の買収の意図に関係なくなされたものであるから最も公正な調査であつて実態と合致するというべきであるのに村農委は事情調査をおろそかにして原告の主張を認めず実情に反し原告、才治、由一を同一世帯と認定して買収手続を進めたものというべきであつて違法である。

2 更に村農委の会議録には本件買収農地のうち鈴鹿郡神辺村大字小野字桜口五九三番の一田一畝十歩同所五九三番の二田十四歩同大字字末広一〇二六番畑一畝二十一歩同所一〇二四番畑六畝十二歩につき買収計画を樹てた旨の記載がない。従つてこれら農地に関する限り買収計画を樹てないで買収されたことになつて不当であり殊に原告は村農委に原告所有の神辺村大字小野字末広の七筆の農地について異議を申立てたが該農地も前叙の会議録中には記載されていない。しかうして買収計画が樹てられていない農地については異議を申立てる筈はないから必ずや買収計画が樹てられたものと考えられる。然るとすれば村農委は如何なる農地について買収計画をたてたか不明となつてくるし双方の農地について買収計画を樹てたとすれば保有面積二町二反以内の原告所有の農地について買収計画を樹てたことになり違法となる。これらの点から考えると前叙の会議録の記載そのものが事実によらず極めて不正確なものであり村農委の職務執行が法規通り行われておらないといわねばならず違法である。

叙上の如く被告が本件農地についてなした買収処分はいずれの点よりするも違法であるからこれが取消を求めるため本訴請求に及んだ次第であると陳述し、被告の本案前の主張に対しその主張の如く本件農地について前後二回に買収令書が発行交付されたことは認めるが買収令書が二回交付された事情は争う。昭和二十二年十一月頃前叙の如く村農委が本件農地及び原告所有の鈴鹿郡神戸村大字殿の内七百七十四番の一畑七畝九歩に対する買収計画を樹て被告はこれ等農地について一通の買収令書を発行したところその後三重県農業委員会(当時は同県農地委員会であつた。以下県農委と略称する)は再審議の結果前叙の買収令書記載の農地のうち殿の内七百七十四番の一畑七畝九歩の農地を買収計画から除外し本件農地のみについての買収計画を認めたので被告はその決定に基いて改めて本件農地についてのみ買収令書を発行し原告に交付したものである。しかもその際被告は曩に被告の発行交付した買収令書を取戻そうとしたほどであるから後に発行された買収令書は被告のいうが如く単なる添付目録の訂正ではないのである。被告主張の如く後の買収令書の発行が前叙殿の内の一筆の農地についての買収取消の効果を発せしめる意思であるならば該農地の買収取消処分をすればよいのであつて更に買収を取消さない本件農地について改めて買収令書を発行する必要なく斯る措置を採らずして同一の買収計画に基いて同一農地について再び買収令書が発行せられた場合は当然前の買収令書の発行交付による買収処分は後の買収令書の発行交付による買収処分によつて取消され後の買収処分のみが有効に存在すると解すべきである。(なおこの見解は三重県農地課長も同意見で県の事務当局は此の見解のもとに後の買収令書を発行交付したものである。)従つて後の買収処分を基準とするときは原告は出訴期間を徒過しておらず此の点に関する被告の本案前の抗弁は理由がない。又被告は訴願を経ていないから本訴は不適法であると主張するが知事による買収処分は市町村農地委員会の買収計画及び同計画に対する県農地委員会の承認を前提条件とするが買収計画なる行政処分と知事の買収処分とは別個の行政処分とみるべきであるから被告の主張は理由がなく此の点に関する被告の本案前の抗弁も亦理由がない。なお被告は昭和二十二年十一月二十一日の本件農地の買収計画の公告に対し同月十日原告が一時賃貸を理由に異議を申立てたといつているが原告が一時賃貸を理由として異議を述べたのは本件農地に対してではないと述べ、被告の本案の主張に対し原告は被告主張の如く才治及び由一へ農地を分与するにつき地方長官の認可を受けなかつたことは争わないが、昭和二十二年八月一日現在の農業センサス票作成にあたり原告が自作地二町一畝十八歩貸付農地八反歩と記入した事実は否認する。該農業センサス票は原告の作成に係るものではない。このことは農地台帳作成要項により才治が作成した世帯票に才治一家は原告と別世帯として、又才治は昭和二十年十一月二十三日以来六反余の農地を自作している旨届出でていることによつても前叙農業センサス票が原告の作成に係るものでないことは明かである。被告は又原告が由一等に別紙目録(二)(三)記載の農地を分与したことについてその所有権移転登記がないからその事実をもつて第三者たる国に対抗することができないと主張するが登記が所有権移転の対抗要件であるのは取引関係の保護を目的として私法上の法律関係のみに適用せらるべきものであつて行政処分の如き公法上の法律関係には適用せらるべきでなく農地開放の如き制度はできる限り民主的に取扱うべきであり、登記がないからといつて(農地については諸種の法令で制約を受けているのでその移転登記は容易に出来難いので自然遅れ勝ちになるものである。)移転している事実を無視して農民の不利益に措置することは許さるべきでない。又被告は登記制度は善意の第三者保護取引の安全保護のための制度であり知事と雖も所有権帰属の真偽は登記によらざるを得ないと主張するが成程知事にとつては被告主張の如くであるかも知れないが農地委員会はその調査は容易であり又公権の発動にあつてこそ真実を発見しなければならず登記制度にかくれて一私人の権利を侵害するようなことなきを新憲法は要求しているのである。又昭和二十一年十月二十一日公布法律第四十二号の農地調整法の第二次改正(同年勅令五百五十五号により同年十一月二十二日から施行)において知事の許可又は農地委員会の承認を得ないでなした農地の所有権移転は効力を生じないとしたが、その場合においてもその法律施行前に農地の引渡があつた場合(知事の許可又は農地委員会の承認を経ないで耕作の目的に供するため所有権を移転したもの)には適用しないことを同法附則第二項で規定している。これはまことに適切な規定であつて、その法意は農地の所有権移転は引渡があれば登記がなくても有効であることを認めたものと解すべきである。元来農地を農地として使用するために移転することは特別扱いをせられてきたもので農地法改正の都度登記又は引渡の何れかが完了しておれば改正規定が適用せられないのが慣例である。しかうして前叙の第二項もこの慣行を踏襲したものであつて、もし被告主張の如き法意であるならばその法文中「当該契約に係る権利の設定又は移転に関する登記及び当該農地の引渡のいずれもが完了していないものについてもこれを適用する。」という「いずれもが完了していない」という字句は「いずれかが完了していない」という意味となる。これは吾人の国語用法の知識からしては到底納得がいかない。「いずれも」とは「どちらも」と解釈すべきであつて登記又は引渡の双方のいずれかが完了している場合は適用しない意味である。被告主張の如く同条項が従来の慣例を改正する意思であつたとすれば国語用法上大なる誤がなされているものであつて立法者の責任は重大である。従つて国家は農地調整法に於いて認めた法意を自創法で認めないということは結局立法の趣旨が二途にでたことになり不当であるから自創法においても同様の解釈をとるべきであつて被告の見解は不当である。次に被告は昭和二十二年十二月二日現在(今日でも)才治は原告と同居している事実は争われないと主張するが、右同居という意味を単に原告と同一家屋内に起居を同じくしているという意味であればこれを認めるが自創法或は国勢調査に関する法令に意味する全く生計を同じくするという意味であるならば否認する。かかる意味においては才治も由一と同様同居親族でない。即ち同人は前叙の如く昭和二十年十月十日頃から世帯を別しており国勢調査においても別世帯となつている。自創法の取扱において同一家屋内に住む親族は同法に所謂同居親族と一応認めて差支えないと考えられるがこれは飽くまで一応の推定であつて同一家屋内に住んでいても、生計を同じくしない別世帯である以上、これを同居親族と認めることは不当である。被告は又原告と才治、由一等が共同耕作をしていると称してこれを以つて自創法の同居親族と看做す根拠としているが原告は共同耕作の事実は否認する。かりにかかる事実があつたとしても原告は才治、由一に農地を分与した後においても親族には変りなく戦時或は戦後の手不足のときに助け合つて耕作したからといつて自創法の同居の親族とはいえないし、終戦後の住宅難の折柄由一と原告との居住関係の如きは農村のいたるところに見られるものであつて、これをもつて自創法に所謂同居の親族と認定するが如きことも亦不当であるといわねばならない。農業センサス票は前叙の如く原告の作成したものでなく該票の記載は全く事実と相違するものであると述べた。(立証省略)

被告訴訟代理人はまず本案前の抗弁として原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、その理由として県農委が最初原告所有の本件農地及び鈴鹿郡神辺村大字殿の内七百七十四番の一畑七畝九歩に対する買収計画を承認したので被告は昭和二十三年八月十八日右農地について一通の買収令書を発行し原告に交付したが(元来本件の各農地は不可分のものでなく各々独立したものであるから一筆毎に買収令書を発行し得るのであるが、便宜上一括して一通の買収令書を発行したものである)その後前叙県農委において右農地中殿の内七百七十四番の一の農地に対する買収計画の承認を取消したので被告は一旦原告に交付した前叙買収令書の附録目録より該農地一筆を削除して該農地についての買収処分を取消すため該令書の返還を原告に求めたが、原告は紛失したと称して返還に応じないので改めて同二十四年三月十四日本件農地のみについて再度買収令書一通を発行原告に交付したものである。従つて本件農地については前後二回に同様の買収令書が発行されているわけであるが、本件農地について後の買収令書が発行されたのは前叙の如き事情から前叙殿の内の七百七十四番の一の農地に対する買収令書発行の取消のためになされたものであり後に発行せられた買収令書中にも本件農地に関し前の買収処分を取消し新に買収すると記載していないのであるから、後の買収令書の発行は殿の内の農地の買収を取消す効果のみをもつものであつて前の本件農地に対する買収処分を取消してこれに代る効果をもつものではない。本件農地に関しては後の買収処分は無意味無効であり前の買収令書の発行交付による買収処分のみが有効といわなければならない。然るとすれば前の買収処分を基準とすれば本訴は既に法定の出訴期間経過後に提起されたものであるから不適法として却下さるべきものである。なお三重県農地課長が原告主張の如き意見を表明したこと及び被告が原告主張の如き意見のもとに第二回の買収令書を発行したことは否認する。仮りに該課長がそのような意見を表明したとしてもこれは意見にすぎず法律上の効力を有しない。

又原告は村農委が本件農地に対する買収計画樹立後の昭和二十二年十月三十一日該村農委に対し本件農地の中神戸村大字小野字末広一〇二六番の畑一畝二十一歩と本件外の一部の農地について一時賃貸を理由として異議を申立て村農委は同月十五日右異議申立を却下したが、原告はこれに対し県農委に訴願を提起しなかつたので被告より買収令書を発行したものであるが原告の本件農地に対する本訴は異議(前叙の如く本件農地の一部の農地について異議を申立てたのみで他については異議の申立もしていない)及び訴願を経ずして提起されたもので訴願を経ないことに正当の事由のない本件においては訴願を経ないで訴を提起することは許されないから此の点においても原告の本訴請求は不適法として却下せらるべきである。

次に本案について主文同旨の判決を求め、答弁として原告主張事実中原告が市川才治、小林美枝、加藤敬子、松岡由一との間にその主張の日時にその主張の如き養子又は婿養子縁組の届出のあつたこと、現在才治が原告と同一家屋内に居住し由一が別棟(但し本家に接続する)に居住していること、由一が原告主張の如く応召し其の後復員したこと、同人が戸籍上昭和二十二年一月二十日分家したことはいずれも認めるが原告が同十九年三月にその所有農地を才治及び由一にそれぞれ分与引渡したことは否認する。このことはその当時既に施行せられていた農地の移動統制に関する臨時農地等管理令第七条の二に従い所有権の移転には地方長官の許可を受けなければならないにも拘らず、その許可を受けていないこと、昭和二十二年八月一日の農業センサス票に原告が自作地として二町一畝十八歩貸付地八反歩と記載して届出ていること、同二十二年十二月本件農地買収計画樹立に至るまでは分与したと称する農地について供出、配給(肥料)等は原告名義一本でなされ本件農地の買収問題が起つて後その名義を原告才治、由一とに分けていること、分与農地を原告、才治、由一及びその家族が何の区別もなく共同して耕作していること、由一は同二十二年一月二十日戸籍上は分家手続をしたのに分与したと称する農地の移転登記手続をとつていないこと(原告は農地統制法規によつて分与農地の所有名義が変更できなかつたと主張するが臨時農地等管理令によつても又農地調整法によつても地方長官の許可を受ければできるのである)前叙の如く原告は村農委に対する本件農地の一部について異議を申立てたが、それは一時賃貸を理由とするもので十九年三月に農地を分与したとの主張がなされていないこと等によつても分与の事実なきことは明らかである。仮りに原告がその主張の如く才治及び由一に農地を分与したとしても、所有権移転登記がないのであるから被告に対し右分与を対抗することができない。原告は農地解放の如き制度はできる限り民主的に取扱うべきで登記がないからといつて移転している事実を無視して農民の不利益に処置することは許さるべきでないと主張するが農地解放こそ農村の民主化のために行われているものであつて、本件買収もその線に沿つたものであり原告の主張はその理由なきものである。

又登記制度は民法において善意の第三者を保護し取引の安全を保護するため設けられたものであるが、私人間の取引(本件についていえば原告と才治及び由一間の所有権移転)は被告(三重県知事)といえども、その真偽を明にすべき何等の公権力なく、もし農地改革を免れようとして他人と相謀つて所有権移転を偽装するときは昭和二十一年法律第四十二号による第二次改正の農地調整法第四条施行前における分(同法附則第二項によつて同二十一年二月に遡る部分もある)については地方長官の許可がない故を以て効力を生じないとするわけにはいかないし、さりとて所有権譲渡の真偽はこれを調査するのに公権力なく結局登記に依存する以外に道なきものである。

原告は前叙の第二次改正の農地調整法附則第二項に基き農地の所有権の移転は引渡があれば登記がなくとも有効であると結論しているが同条項は「第四条の改正規定はこの法律の施行前従前の第六条第三号の規定により従前の第五条の規定による認可を受けないでした農地に関する契約で当該契約に係る権利の設定又は移転に関する登記及び当該農地の引渡のいずれもが完了していないものについてもこれを適用する」というのであつてその法意は農地を耕作の目的に供するためその所有権を移転するには従前は地方長官等の認可を要したが前叙の第二次改正の第四条によつて地方長官の許可を要し、許可なき場合は効力を生じないことになり、而して右改正法律施行前に成立した農地の所有権移転の契約についても登記及び引渡の完了していない場合は改正法を適用するというのであり法網をくぐることを防止するため法律の不遡及の原則に例外を設けたものでただ登記及び引渡の双方が完了しているものについてのみ改正法を適用しないで従前の例によるとした厳重な取締法規で登記と引渡両方共に完了していないもの、或は登記又は引渡の一方が完了していても他の方が完了していない場合はすべて改正法か適用される。即ち所有権の移転を認めないと解すべきで右法条は原告の主張とは反対に登記の対抗力を認めたものであるといわなければならない。

仮りに百歩を譲つて原告主張の如く原告が才治及び由一に各々七反宛の農地を分与したとしても本件買収計画樹立時の昭和二十二年十二月二日現在(今日においても)右才治が原告と同居していることは原告の自認するところであり、又由一は戸籍上は同二十二年一月二十日原告家から分家しているが少くとも同二十二年十二月二日当時までは原告と同一家屋内に起居し現在においても原告の住家の一廓内にある原告家の納屋に寝起しているのである。のみならず本件農地買収計画樹立当時までは原告、才治、由一の納税、配給、供出等はすべて原告名義一本でなしており、農地も何の区別もなく共同して耕作してきているのであり食事も共にし農器具も共同して使用しており又原告が世帯主として昭和二十二年八月一日届出の臨時農業センサス票には原告は経営地(自作地)二町一畝十八歩貸付地八反歩、農家人口として十六歳―二十五歳、女一人(才治の妻美枝)二十六歳―四十歳、男二人(才治由一)女一人(由一の妻敬子)六十一歳以上男一人、女一人(原告夫婦)と記載して届出ておること等より原告、才治、由一が世帯即ち生計を同じくしていることを認めることができる。なお世帯票には才治が世帯主となつているが、前叙の如く同人は原告と終始同棲しているのであつて右世帯表は原告又はその旨を受けた才治の考えによつて作成されたものの如く又その記載により昭和二十二年二月一日以降に作成された事が明白である。なおまた同二十二年十月一日の国勢調査に際し原告才治、由一が各別世帯として調査されている旨主張しているが、この根拠となるべき国勢調査表は神辺村役場に現存しないので、これを確認するに由ないが、仮りにかくの如き事実があり、又才治が別世帯として申告した事実ありとしても、また由一が同二十二年一月二十日分家の届出をなし同二十二年度から同人が国税を別個に納付しているとしても原告は当時村農委の農地委員であり、自創法が同二十一年十月二十一日に公布されたことから考えれば如何なる理由でかかる形がとられたかは自ら明らかであり、被告主張の如く原告才治、由一が同一世帯であることは争えない。而して自創法第四条第一項によれば同法第三条の規定の適用については農地の所有者の同居の親族が当該農地の所有者の住所のある市町村の区域内において所有する農地はこれを当該農地の所有者の所有する農地とみなすとあり同法条に所謂同居の親族とは結局世帯を同じくするとのいゝであるから前叙の如く原告と才治、由一が同居している以上、仮りに原告が農地を分与したとしてもその農地は原告住所地の神辺村にあるのであるから本件買収の基準となるべき原告の所有農地面積に全部算入すべきである。然るとすれば原告の所有農地は二町八反一畝十八歩であり二町二反を超過する範囲内で小作地たる本件農地を買収したことは何等違法でなく、原告の主張はその理由なきものである。

次に原告は買収計画が申告主義を無視して実情調査をおろそかにしてなされたものであると主張するが世帯票農業センサス票等はいずれも申告主義により作成されたものであり、又原告は神辺村農地委員会会議録に基き本件農地のうち神辺村大字小野桜口五九三番の一、同字同番の二、同大字末広一〇二六番、同字一〇二四番の農地につき買収計画がたてられていないとか本件農地の買収計画について審議が十分になされていないとか主張するが右会議録は多少杜撰の誹を免れないが前叙の各農地についても買収計画が樹てられているのであり又本件農地に対する買収計画は法規に従つてなされたもので何ら違法の点なく原告のこの点に関する主張も亦理由がない。

その他の原告主張事実はすべて否認すると述べた。(立証省略)(昭和二七年四月七日津地方裁判所判決)

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